今ある日常を失うことを想像できますか?〜減災の心得〜

 爆弾が落ちたかと思うような音と突き上げる揺れで目が覚めた。自分が寝ていたベッドは飛び跳ねながら壁にぶつかっていく。外はまだ暗く、リビングのベビーベッドで寝ていた三男の泣く声が聞こえてきた。家中は割れて壊れたものの破片だらけで、子供達の無事を確認するだけで精一杯でした。当時住んでいた神戸市東灘区のマンション(6階)の窓から外を見ると、倒れて崩れた家、あちこちから立ち上る煙、マンションの前の4車線の道路には亀裂が入り、多くの毛布を被った寝巻き姿の人が歩き回っていました。

 お正月休みが終わるこの時期、私はいつも1995年1月17日午前5時46分に起きた地震のことを思い出します。今ある日常がまるで夢のようになくなるーそれが災害なのです。

 西日本全体に想定される南海トラフ地震は阪神淡路大震災で起こったマグニチュード7の規模を上回る8または9クラスの地震が今後30年以内に発生する確率が70%とも言われています。日本中で水害や地震の災害が多発する中、いつ誰が明日にでも災害に遭遇してもおかしくありません。あの日まだ小さかった子供を抱えて、どんな備えが役に立ったのか、どういう備えが必要だったのかお話ししたいと思います。

 まず本当に良かったと思ったものは電灯の仕様です。家中の電灯は吊り下げてあるものではなく、リビングの大きなライトも含めて全て天井に直接くっついているものを備えていました。唯一食卓の真上のライトは吊り下げだったのですが。粉々に割れて散らばっていました。余談ですが、食器棚の食器は殆ど外にとび出して、なのに何故か食器棚のとびらはしまって、食卓の上に倒れて、、その食器棚を乗せたまま食卓は隣の部屋までとびでてきていました。家中が割れた破片だらけだったのですが、少なくとも電灯が割れなかった寝室や子供部屋は破片の被害はありませんでした。そして、これは実家の父母が子供が小さいと危ないからと、子供部屋のタンスをL字の金具で壁に固定してくれていました。おかげで子供達はベッドが揺れたぐらいであまり怖い思いをせずにすみました。これから子供部屋を準備するという方はできればのサッシ窓に飛散防止フィルムも貼っておいていただきたいです。また年末の大掃除の時にふとライト付きのラジオが目につき、電池が入ってなかったら使えないなぁと電池を入れていました。停電で何の情報もない中、本当に使用することなど思ってもいなかったラジオがとても役にたちました。結局、車で隣の大阪府にその日のうちに向かうことになるのですが、海側の43号線の高速道路が倒れて使えなくなっていることをラジオで知ることができたからです。今だとラジオ付きのスマホもありますが、スマホには充電が必須です。太陽光で充電できるモバイル型のソーラーパネルチャージャーを買っておくととても心強いと思います。

 避難して落ち着いた後、最初に買い求めたものは子供一人一人のリュックです。階段を降りる時、道を歩く時、小学校低学年くらいまでの子供であれば、安全のためずっと手を繋いでおかなければなりません。とりあえず持ち出すものも貴重品を含めてかなりのかさになり、親は両手が塞がった状態で、その荷物も持たなければなりません。小さくても歩ける子には自分の下着や薬、好きなおもちゃやお菓子を自分で背負ってもらわなければ!と痛感したからです。普段から自分の荷物を自分で持ち運ぶ習慣にしておけば、いざという時、はるかにスムーズに移動ができると思います。

 いつ来るともわからない災害に対して、リスクをゼロにするのは不可能です。けれども例えば「家を安全な空間にする」(家の耐震も含めて)ということは災害被害をできるだけ軽減するための準備、『減災』のためにできることの一つになります。ファイナンシャルプランナーが言うことではないかもしれませんが、家族の身体と心を守ることさえできれば、お金や物はまたいつか取り返すことができると信じています。

 

 

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